平和祈念資料センター事業

平成14年度平和祈念講演会のご案内
平和祈念フォーラム2002
−戦争体験の労苦を通して、平和への願いを語り継ごう。−

 平成14年7月14日(日)、岡山県岡山市の岡山コンベンションセンター(通称「ママカリフォーラム」)において、「戦争体験の労苦を通して、平和への願いを語り継ごう。」のテーマで平和祈念講演会を開催しました。
 今回は、キャスターの生島ヒロシさんの司会のもとに、おかやま晴の国大使でスイミングアドバイザーの木原光知子さん、外交評論家の田久保忠衛さん、日本ジャーナリスト会議会員で山陽新聞社社友の日一さんに出演いただきました。
 冒頭、片山虎之助総務大臣から挨拶をいただいた後、講演会に移りました。

レポート発表の写真 第1部は、地元岡山大学の学生が街頭で戦争についてのインタビューをした時の様子をVTRで上映しました。その後、「岡山空襲」と「シベリア抑留」についての取材レポートを映像を交えながら発表してくれました。
 最初に、岡山大学の近藤哲矢さんと高橋義和さんから昭和20年6月29日未明に岡山市が被った空襲について発表していただきました。
レポートのまとめとして、二人を代表し、高橋さんは次の感想を述べられました。「戦争について過去を知ること、それは戦争について意識を持つということはもちろん、自分がその当時の人々の状況であったらと考えることが本当の意味での戦争の悲惨さを知るということだと思います。そして、今度は戦争について我々が率先してやるべきこと、それはこの戦争の悲惨さと平和の大切さということを更に考え、人々に伝え、そしてこのようなことが二度と起こることのないようにしていくことだと思いました。」
 次に、同じ岡山大学の浜本明子さんと平丸晶子さんから「シベリア抑留」戦後強制抑留の実態について、写真やイラストを交え説明をいただきました。ここではレポートのまとめの部分を紹介します。「私たちは、戦争を知らない世代です。抑留者の方々や戦争を体験された人々の労苦は、さまざまな資料やお話を通してしか知ることができません。しかし、戦争の悲惨さが自分たちの想像の域を超えないにしろ、私たちはその過酷な状況の中での家族愛、友情の美しさに共感することはできます。私たちは、平和を知る世代です。そのことに誇りをもって、この家族や故郷への愛、友情をかけがいのないものとして守り、ほかの人のそういった気持を守ってあげようとすることこそ、これからの平和な社会を築いていく糸口になるのではないかと思います。」


 第2部は、「語り継ごう、次世代へ」と題し、始めに地元岡山の戦争体験者の方に木原光知子さんがインタビューしたVTRを上映した後、木原さんに感想をうかがいまいした。その一部を紹介いたします。

木原 このVTRは新宿住友ビルの平和祈念展示資料館で収録したのですけれど、4人の方に2時間ほどお話を聞いたのですが、2人の方は10年間以上も、死というものに恐怖を感じながら戦い、2人の方はシベリアという酷寒の地で、飢えや寒さと戦って、更に残された家族も戦ってこられたと思うと、その日、眠れなかったのです。「おじいちゃん戦争の話もういいよ。」と言われても私はすべきだと思いましたね。戦争という苦い体験をされた方が亡くなるということは、ひとつの図書館がなくなるようなものですから、皆様のお手本となるように、いつまでもお元気で語り継いでください。

  続いて、戦後満州から引き揚げてこられた日一さんの体験談の後、出演者によるパネルディスカッションを行いました。その一部を紹介いたします。

 終戦当時、私は今の吉林省延吉という町に住んでおりました。中学2年生でございました。8月17日にはソ連軍が進駐してきて、略奪が始まりました。19日には見慣れない満人たちが500人とも1000人とも見当がつかないぐらい押し寄せ、早い者勝ちのような調子で家財道具から何から一切合切持っていってしまい、その日から難民になったわけでございます。父親は関東軍に召集になり内地に転属となっておりましたので、家族は祖父母、母と私を頭に4人のこどもの7人家族でした。満州は9月には氷点下になる日もあり、10月風をこじらせた祖父が亡くなりました。衛生状態の悪い中12月には祖母、妹が亡くなり、終戦から3か月で7人家族が4人になってしまいました。中国人の収容団体の おかげで冬を越せましたが、満州ではまだ寒い3月、末弟が亡くなり、とうとう3人家族になってしまいました。4月を迎え、阿片患者収容所の厚生院に世話になることになりました。そこはコンクリの床や土間にむしろを敷いて生活するようなところで、給食もなく食事は自分で何とかしなければなりませんでした。私は住込みで農童をやったり、通いで牛を飼ったり、牧童をやったり、牛乳配達をやったり、裁判所の小遣さんもやりました。そういうことで何とか食いつないでいたのですが、7月になりますと母が全然物を食べなくなり、こんなに人間がやせるのかと思うくらい細くなりまして、7月下旬とうとう息を引き取ってしまいました。そのときは周りの皆さんも亡くなっていますし、母も亡くなりましたが、僕たちも冬が来たらだめだろうという意識もあり、あまり涙が出ませんでした。2、3日は呆然としていましたが、それでも働きにいかないと食べられませんから町をうろうろしていたら、縁あって朝鮮料理屋の板前の下手間で世話になることになりました。1か月たたぬうちに日本への引揚げが始まり、店の方々から過分のお餞別をいただき、本当にうれしかったです。コロ島までの食糧、穀物を調達したり、途中 で食べ物を買うお金ができました。それで弟と2人、延吉から約2か月かかりコロ島へ行く事ができました。引揚船の中で支給されるご飯が麦飯でしたが、日本の香がするのですね。これはとってもうれしかったです。

講演会の写真 次にパネルディスカッションに移りました。その中で、田久保忠衛さんからは、「フランスの国際政治学者レイモン・アロンが『戦争とは平和のない状態だよ、平和とは戦争のない状態だよ』と言うのです。黒の世界を知らないで白、白と絶叫しても白は実現しないのです。アメリカにどうして緊張感があるかというと、9月11日に相手は国ではない、何のことか得体の知れない、どういう実態かわからないテロリストが突如として予期もしないところに攻撃を加えて、3000人近くの人が亡くなった。黒の世界を知ったわけですね。これに対し、平和を維持するにはそれなりに決意を固め、それなりに気迫がないと、平和が自然に維持されると思ったら私は間違いではないかと思うのです。」との発言がありました。また、生島ヒロシさんは、「戦争の悲惨さ、体験をされた方でなければ語れないお話を今日はたくさん頂戴することができまして、改めてこの平和祈念フォーラムをきちんと伝え続けていかなければという思いに駆られたわけでございます。人と人とがフランクな気持で、お互いがお互いを思いやるような気持がとても重要だと思います。」と感想を述べられました。